井戸川克隆とローカルな世代間倫理
25 March 2021
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2011年3月11日の巨大地震および津波は東京電力福島第一原子力発電所において、三つの原子炉のメルトダウンという破局的な事故を引き起こした。当時、井戸川克隆は、原子力発電所が立地し、避難指示区域となった双葉町の町長であった。彼は政府および福島県の反応に不信を抱き、自身のイニシアチブでもって町民の一部を埼玉県に避難させた。これらの町民を2年以上にわたり埼玉県に滞在させたのは、彼が双葉町の全体を福島の外に移設させる計画を持っていたことにある。より大きな構想としては、放射線量が十分低くなるまで共同体を保ち、その後に子孫が帰還するというものがあった。この計画は実現することはなく、現在も双葉町および近隣の自治体の住民たちは福島県の内外に点在して暮らしている。言い換えれば、原子力事故がもたらしたのは共同体の存続の問題だということだ。これまで世代間倫理が問うてきたのは、エネルギー危機に瀕した人類種の存続の問題だったが、井戸川克隆の計画が提起した共同体の存続の問題は、被災した共同体の外の居住者にも関わる新たな世代間倫理の問題だったと言えるだろう。
2021年3月11日で、大地震と大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故からちょうど10年が経つ。福島県双葉町町長を務めていた井戸川克隆は、地震、津波から一夜明けた2011年3月12日、双葉町内で住民避難の陣頭指揮を執っていた。原子力災害対策特別措置法に基づき、全町民を町外へと避難させなければならなかったからである。しかし第一原発1号機からベントする方針が3月12日未明に早々に政府によって決定されており、ベントは遅れに遅れたが12日14時30分ごろに行われ、さらに同日15時36分に1号機が水素爆発した。これによって井戸川町長をはじめとする、残っていた町民や救助に携わっていた警察官や自衛隊員たちは著しく被ばくしたのであった。
現在の日本では、この原発事故によって甲状腺等価線量100m㏜以上の被ばくをした者がいないことになっている。つまり、例えば3月12日のベント、その後の1号機の爆発によって放出された放射性物質に被曝した者はいない(ベントや爆発の前に全員避難した)ことになっているのである。このことを井戸川町長は後から知ることになる。3月14日に福島県庁を訪れた井戸川町長は、県庁内が混乱を極めているのを見て、もはや町民を被ばくの危険から守るには自分しか頼りにならないと判断し、複数の関係先と交渉した結果、福島県を出て埼玉県にあるさいたまスーパーアリーナへ町ごと避難することにした。双葉町は5・6号機の原発立地自治体であるが、もう一つの立地自治体である大熊町や、原発周辺自治体はみな福島県内に避難先を求めた。
井戸川町長が当時の埼玉県知事と交渉した結果、2008年に廃校となった高等学校の校舎を避難所として使えることになり、その結果双葉町は2011年3月末から2年9か月間旧騎西高校を避難所として利用したのだった。当初は約7000人の町民のうち、約1200から1400人がこの校舎に避難してきた。校舎は団地やアパートと異なり、生活のための機能を備えていないので、避難民は大きなストレスを抱えた。さらに福島県政が行政単位としての町が県外へ避難することを支援せず、県内にとどまる町民も多かったために、県内に避難した双葉町民と、県外へ避難した町行政の間に対立が生じた。しかし井戸川町長が町役場を避難所でもあった旧騎西高校から現在の福島県いわき市へ移転することを決めたのは、2012年10月のことであり、実際に役場が移転したのは井戸川町長退任後の2013年6月17日だったのである。
日本政府は、2012年1月から福島県内外の放射性物質に汚染された地域の除染事業を始めた。福島県内から出る大量の除染ゴミをどこへもっていけばいいのか?政府は除染ゴミの中間貯蔵施設を立地自治体である双葉町と大熊町に造ろうとするが、井戸川町長は町を破滅させたことへの国の正式な謝罪がないことと、施設建設の政府内の意思決定プロセスが不透明であることなどを理由に受け入れなかった。この行動が、大熊町その他双葉郡8町村の足並みを乱していると他の町村長や双葉町議会からの批判を招き、さらに町議会は埼玉県に多くの町民を足止めし続けていることを批判した。井戸川町長がこれらの批判にこたえていないとみなして町議会は不信任を決議した。その結果、井戸川町長は退任したのであった。
原子力発電所が爆発することによって日本全国、あるいは地球全体が均一に放射性物質で汚染されるわけではなく、むしろ原発近傍を中心にけた外れに汚染されるために、先祖代々引き継がれてきたある特定の共同体の存続が危機にさらされるのである
井戸川町長は在任中、騎西高校避難所をとうとう閉鎖しなかったし、なるべく県外において町民を集めようという姿勢を崩さなかったように見える。なぜだろうか?
井戸川町長は、日本から双葉町が無くなることは受け入れられないと述べる。その点については他の双葉郡の町村長や住民と同じ考えであろう。現在の日本では故郷の町村への帰還政策がとられている。ウクライナ等のチェルノブイリ法において移住の義務が生じる放射線量であっても、日本の場合は避難指示が解除される(年間追加被ばく線量5m㏜から20m㏜まで)。しかし井戸川町長は早期に町民を町へ帰還させることを目指すのではなく、今回の事故由来の放射性物質による汚染のない土地に「仮の町」を建造し、100年単位で放射線量の減衰を待ち、故郷の放射線量が通常の生活を送るのに支障がないレベルにまで下がった段階で帰還するという構想を立てていた。つまり、なるべく多くの町民を町外でまず結集させ、最終的に皆で「仮の町」へ移住しようとしていたのである。かつて、旧約聖書の預言者エレミア(エレミア書25.1‐14)は、バビロン捕囚が70年間続くことを預言した(実際には第1次捕囚からキュロス王による帰還を認める勅令発布まで約60年)。井戸川町長の構想は、飛散した放射性物質に関する冷徹な認識に加え、まさにこの預言に匹敵するような時間感覚に基づいている。別の角度から言い換えれば、福島第一原発事故は旧約聖書を編纂させたのと同じか、それ以上の文明的な衝撃であった。
仮の町」は、森ビルが東京都内で再開発事業として手掛けた「六本木ヒルズ」や「表参道ヒルズ」と同じような、職住一体の街づくりである。井戸川町長は退任後、国と東京電力を相手に民事訴訟を戦っているが、その過程で提出された陳述書によると、茨城県つくば市内にこれを建造する腹積もりだったらしい。また、六本木ヒルズの建造費は土地取得費用を除くと2700億円だった。森ビルの社長は土地取得も含めて実現可能性はあると井戸川町長に話したという。日本政府が2012年度から2017年3月末にかけて、20m㏜を目安にした広域的な除染が行われていたが、これには毎年数兆円の規模で予算措置が取られていた。資金の規模の面からも「仮の町」は十分実現可能な計画だったのである。
2012年頃までは他の町村にも「仮の町」と称する企画があったりもした。国が2012年頃までは「仮の町」をつくることについて検討課題としていたと読み取れる報道も少しあった。ただしこの場合は福島県内での建設である。しかし「仮の町」構想は後任の町長に顧みられることもなく、他の町村の計画と合わせて雲散霧消した。10年経った現在、被災自治体や周辺自治体はいずれも、日本全国へと散らばった住民たちの支援を限定された範囲で行っているようだ。
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仮の町」構想をはじめとする井戸川町長の考えと行動から読み取れるのは、原発事故がいわゆる世代間倫理の新しい局面をはっきりと指示したということだ。世代間倫理に関する哲学・倫理学的考察はM.P.Golding, “Obligations to future generations”(1972)が嚆矢だと考えられる。1970年代から始まる世代間倫理に関する哲学的議論は、エネルギー危機や環境破壊を招来した現代の人類の倫理性を、それらの危機にさらされるであろう将来世代を鏡として問い直そうとするものであったと考えられる。
しかし、少し冷静になって考えればわかることなのだが、原発が爆発することによって日本全国、あるいは地球全体が均一に放射性物質で汚染されるわけではなく、むしろ原発近傍を中心にけた外れに汚染されるために、先祖代々引き継がれてきたある特定の共同体の存続が危機にさらされるのである。つまり、ある特定の共同体の存続の義務、あるいはある特定の共同体を犠牲にして他の共同体が存続することの是非を問う「ローカルな世代間倫理」が新たに問われる事態が生じているのである。これは、特定地域に環境リスクを押し付けることの不正を問う環境正義論が、実は本質的には世代間正義論を含むということかもしれない。
一つの共同体が無くなるとはどういうことか?井戸川町長はその象徴的な例として子どもたちが「校歌」を歌えなくなることを挙げる。井戸川町長いわく、双葉町民は年をとっても集まったときにはよく校歌を歌うのだという。しかし既に事故から10年経っているので、被災者課程の子どもたちの中には本来通うはずだった小・中学校の校歌をそもそも知らず、避難先(あるいはもう移住先)の学校の校歌を自分の校歌として認識している者も多いはずである。校歌という象徴があらわしているのは、各人がその共同体の一員としてアイデンティファイするために必要な文化的紐帯である。事故が原因で発せられるけた外れの放射線はDNAだけでなく、過去から受け継いできたその文化的紐帯も切断する。どのような共同体に属する人間であっても、そのような一方的な暴力を甘んじて受けない権利を有するはずである。
井戸川町長の「仮の町」構想は、町民の生命身体の安全を確保するだけでなく、各自己のアイデンティティの基盤となるその文化的紐帯を保護しようとするものだったと考えられる。しかし、この構想が仮に実現したとすると、双葉町の2011年当時の人口は約7000人だったから、少なくとも数千人規模の新しい町があるところに忽然と出現するわけで、その近隣の住民が歓迎するとは限らない。井戸川町長だけでなく、多くの避難者が証言する避難先の住民との軋轢を想起するなら、仮の町とその周辺の共同体との間で軋轢が生じるだろうことも想像に難くない。その軋轢を克服するためには、チャールズ・テイラーのマルチカルチュラリズムを念頭に置くと、「仮の町」住民とその周辺の共同体の住民たちとの間で、「地平の融合」が生じる必要がある。
元の共同体が将来にわたって不可逆的に破壊されることを回避しようとした「仮の町」構想が私たちに教えてくれるのは、世代間倫理が人類全体というレベルだけでなく、ある特定の共同体というレベルにおいても環境倫理学の課題になるということである。
テイラーはアイデンティティが本質的に対話的に構成されると考えた。それは個人の独自性についても、またある特定の他と区別される集団においても言える。私は他の誰とも違う私であり、私の属する共同体は他のどことも異なる共同体なのだが、それは他者及び他の共同体による承認を必要とする。承認がない場合、もしくは歪められた承認、例えば人格的に劣るものとして承認されたりすると、アイデンティティ自体がゆがめられる。2021年現在、井戸川町長は、主に福島県内の他の町村民から「お前たちのせいで放射能で汚染されて生活が台無しになった」と双葉町民が言われてきたという。また、騎西高校に避難していた当時、避難民が高校の外のうなぎ屋に食事に行くと、元の地域の住民から「避難民のくせに贅沢をしている」と批判されたという。現在双葉町民に限らず原発近傍の町村民を中心に、大勢が避難生活を送っている。先祖代々の人間関係と生業が断絶した中で、必ずしも友好的ではない、事故前まで縁のなかった人々の間で暮らしている人も多い。このような状況下で、元の共同体をヴァーチャルではなく、また祭事の時だけ集まったりするテンポラルなものでもなく、パーマネントな形で確保しようとする「仮の町」構想は、個人レベルでのアイデンティティの保護育成に資するものと考えられる。しかし、前述した「仮の町」とほかの共同体の間で、どのようにしたら相互に歪め合わない承認を構成できるだろうか。
テイラーはカナダにおけるケベック州の事例を手掛かりに、最終的にたとえ自分が好きになれない部分があったにしても、今まで続いてきた文化や習俗には尊重されるべきものがあることを認めることが、「地平の融合」にとって必要だと考えていた。今回の原発事故においては、同じ国内であっても、同じ母語であっても、共同体間の顕在化しない軋轢が深刻である。自分とは異なる共同体の文化や習俗を持つ人々への承認の土台となるものは何か。
日本は世界で突出して最も医療被ばくの多い国である。つまり、低線量被ばくに対する認識と関心が諸外国以上に低い。だから、避難の必要性や切実さが避難先の住民に認識されない。その結果、上述のような軋轢が生じるのである。一般論で言えば、医療被ばくにさえ健康上のリスクがあることを被災地域以外の国民に周知させることで、放射線のリスクを恐れて、あるいは放射線量が高く国家から避難指示が出て避難している人々に対する寛容さが醸成されるのではなかろうか。「仮の町」構想を成功させるためには、医療被ばくを含む低線量被ばくのリスクへの関心を国民全体で共有することが必要であると考えられる。
井戸川町長の「仮の町」構想は、町民の生命身体の安全を確保するだけでなく、各自己のアイデンティティの基盤となるその文化的紐帯を保護しようとするものだったと考えられる。
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井戸川町長は放射能が十分に減衰した後に元の双葉町へ帰還する際に、「仮の町」を売却して帰還後の生活やインフラの再建資金に充てようとしていた。だからこその‘仮’の町なのである。売却に成功するためにも、他の都市再開発に見劣りしないものを用意する必要があった。原発事故から10年が経ち、双葉町民に限らず被災者たちは福島県内外に散らばり新生活を始めて久しい。「仮の町」を建造してまた共同体を形成して暮らすという計画はおそらく今後も実現できないだろう。それでもなお、ひとたび原発が爆発したら、世代間倫理が人類全体というレベルだけでなく、ある特定の共同体というレベルにおいても環境倫理学の課題となることを、元の共同体が将来にわたって不可逆的に破壊されることを回避しようととした「仮の町」構想は私たちに教えてくれるのではないだろうか。